SSブログ

無題 [雑感]

その人は私に、ボサノバという音楽を教えてくれた人だった。

 

 

 

 

ギターの上手な人だった。ポルトガル語講座をビデオ録画して、発音を勉強するような真面目な人だった。英語は少し苦手なようだった。吉行淳之介をこよなく愛する人だった。吉行淳之介の魅力に引き込まれた私は、書棚にある小説やエッセイを片っ端から借りてよませてもらってた。図書館からも本をたくさん借りて読む人だった。草間弥生や花村萬月や、聞いたこともない難しそうな人の本や、ナントカ賞をとったばかりのメジャーな本や話題の本まで、あらゆるものを読んでいた。電車賃がなくて、よく二子玉川から川沿いを歩いて帰ってた。おかげで健脚になれた。お酒がまったく飲めず、初対面の人と話すのはあまり得意ではなく、ドアノブやつり革を触るのが苦手で、外では水を飲まない人だった。江古田にある、ジャズの流れる古びた喫茶店で美味しい珈琲とフレンチトーストをわけあった人だった。お客が一人も来ないライブハウスで一緒に歌ったことのある人だった。

猫の好きなひとだった。龍のTシャツがとてもよく似合うひとだった。素直で優しくて、あまりにも不器用にしか生きられない人だった。たまに拾ったもので生活をする人だった。江戸時代に興味を持っている人だった。部屋ではLPを聞く人だった。ケンタッキーのチキンはご馳走だと思ってる人だった。帽子のよく似合う人だった。バブルの頃は、銀座の街角でギターで生活していたひとだった。バブルがはじけてからは、遺跡を掘って生活していたひとだった。アラーキーの写真集に写ったことのあるひとだった。その写真集は絶版だったために都内の本屋をはしごしたこともあった。甘い物が好きなひとだった。サングラスをかけないと演奏できないほど恥ずかしがりな人だった。

 


あれから数年。

猫はいなくなり、女は猫でなくなり、そのひとはこの世からいなくなっていた。

享年45歳。

その人はボサノバをすこし寂しげな声で歌う優しい人だった。

 


 

 

追伸: 本日、偶然あなたの消息を知りました。大切な時間をわけあえたこと、人生の一部にかかわることができたこと、本当に嬉しく感謝しています。いろいろなものを残してくれて、ありがとう。ここでこうしてたくさん思い返して、確かに存在した思い出として形に残しておきたいと思います。
ご冥福を心からお祈りいたします。

 


Wii are the World  0..エノシマサンポ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。